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    かけはし2021年2月22日号

希望は人々が敗北と勝利の教訓得ていること


アラブ革命

ジルベール・アシュカルに聞く

新型コロナパンデミック終息後アラブの春第3波はあり得るか

 2011年「アラブの春」から10年目を迎えようとしている。反乱のほとんどは手ひどい敗北を喫したが、この地域の革命プロセスは終わらなかった。今日のパンデミックや世界的な不況の中でさえ、各国で次から次へと闘争の波が爆発したのだ。このインタビューでは、ジルベール・アシュカルが、『トゥルースアウト』[アメリカの進歩派ニュースサイト]のために、アシュリー・スミスの質問に答えてこれまでの反乱の結果と革命闘争の新たな波の展望を評価している。

大多数は反乱を後悔していない

――「アラブの春」の記念すべきこの時期、多くの主流派のコメンテーターは、反乱の結果について非常に悲観的な見方をしている。あなたの評価はどうか?

私の考えでは、反乱をあたかも過ぎ去った出来事であるかのように扱うのは誤解を招くことになる。われわれは反乱の歴史的な記念日を示しただけだ。この地域は長期的な革命プロセスの中にあると見る方がより正確である。
このように見ることは、希望的観測ではない。事実を述べているのだ。第1波は2010年12月にチュニジアで発生し、地域全体に拡大した。それ以来、われわれは2018年12月に始まった第2波―メディアが第2の「アラブの春」と呼ぶもの―の渦中にいる。
第1波は6カ国を襲った。チュニジアに始まり、エジプト、イエメン、リビア、バーレーン、シリアへと広がった。第2波はさらにスーダン、アルジェリア、レバノン、イラクという4カ国に押し寄せた。つまり、現在までに、この地域の20カ国のうち10カ国が反乱を経験していることになる。その10カ国をあわせると、その地域の人口のほとんどが含まれるため、反乱の重要性はますます大きくなっている。
第2波が新型コロナウイルスによってある程度中断されているのは確かだ。しかし、パンデミックによって反乱が終わることはないだろう。それどころか、パンデミックは反乱を引き起こした状況をさらに悪化させている。
パンデミックが引き金を引いた不況は、原油価格の大幅な下落をもたらし、地域経済の土台を掘り崩し、格差を深刻化させ、政治を不安定化させている。いったんパンデミックを通り抜ければ、遅かれ早かれまた次の反乱の波が起きるだろう。
この地域が経験しているのは、革命プロセスがいまも続いているということである。これまでのところ、革命は勝利しておらず、2カ国―シリアとイエメン―では壊滅的な内戦が続いているため、その結果に悲観的になるかもしれない。しかし、もう一方では、人民の闘いへの決意は楽観主義の根拠となっている。
ほとんどの人々は、失敗した反乱を後悔の気持ちを抱いて振り返ることはない。最近の世論調査によると、アルジェリア、イラク、エジプト、スーダン、チュニジアでは、大多数の人々が反乱を後悔していないことがわかった。
要するに、革命と反革命のさらなる波を予測すべきなのである。それは長期的な革命プロセスに特徴的なものである。

体制打倒要求が地域の特徴


2008年の世界的不況以降、世界中で反乱の波が起きた。しかし、中東の反乱ほど急進的なものはない。それはなぜか?
世界的レベルでは、新自由主義は2008年の不況以降、危機に陥っている。一般的に言って、それ以降のほとんどの抗議運動は、政府の新自由主義政策の変更、あるいは政権交代を要求しているが、権力システム全体の打倒を目的としたものはほとんどない。
しかし、それこそが2011年以降、アラビア語圏諸国におけるほとんどの運動がやろうとしてきたことなのである。「人民は体制打倒を望んでいる」というのがこの地域の反乱の中心的なスローガンである。それは、新自由主義の全般的な危機と中東・北アフリカに特有の構造的危機との違いを示している。
新自由主義とは一連の政策であり、資本主義の中でのある種の規制様式―つまり規制緩和―である。それは、システムを転覆させるまでもなく、選挙や政権交代によって変えることができる。
対照的にアラブ地域では、人民は自らの社会的状況を改善するためには、権力システムを打倒する必要があることを認識している。この地域の国家はすべて縁故主義国家である。アル・アサドによるシリアの君主制のように、一族によって所有される家産制国家であったり、新家産制国家だったりするが、その中ではスーダン、アルジェリア、エジプトの3カ国は軍部に支配されている。
中東と北アフリカのほとんどの地域では、政治家を選挙で退陣させることはできない。これらの国のほとんどは、石油やガスなどの採掘権から歳入のかなりの部分を得ている。ワシントンとロンドンは、自らの利権への継続的・特権的アクセスを確保するために、長期にわたって専制的な石油君主を支援してきた。
しかし、このようにして生み出された地域国家システムは、新自由主義的転換と結びつくことで、発展を妨げる構造的障害物を生み出した。その特異性が、2011年に始まった長期的な革命プロセスを説明している。人民は政治・社会・経済システムを打倒するために闘い続けるだろう。人民が勝利するか、それともその地域が悲惨な時代に直面し続けるかのどちらかになるだろう。

都市部の中低所得層が決起主体


――どのような階級や社会集団が反乱に参加しているのか?

 信頼できるデータがない中で、これにどう答えるかは、構造危機の診断と何がそれを解決するかにかかっている。国際金融機関―IMFと世界銀行―は、深い社会的・経済的危機があることに同意している。
しかし、国際金融機関は、その危機は自らの新自由主義的な政策のためではなく、むしろ彼らが望んでいたほど徹底的にはその政策が実行されなかったからだと主張している。数十年にわたって、彼らはすべての政権に社会支出の削減、国有企業の民営化、市場の規制緩和、世界経済への開放をおこなうように圧力をかけてきた。
彼らはこのようにして、そうした蜂起が新自由主義をさらに進めるよう求める「中産階級」の反乱であると描き出そうとしている。彼らは、中産階級によって、民主主義と法による支配のための合言葉である「グッド・ガバナンス」をともなう完全な新自由主義経済がもたらされるだろうと見せかけているのだ。
しかし、これは現実とは完全に異なっている。国際金融機関がその地域で自らの政策をもっとも急進的に実行できたのは、アブデル・ファタ・アル・シシの残忍な独裁政権の下でのエジプトにおいてである。この事実は、新自由主義が自由民主主義をともなっているという主張が純粋な神話であることを示している。
もちろん、中産階級育ちの中にも反乱に参加した人々がいた。しかし、街頭や広場にいた圧倒的多数は、都市部の中低所得層、労働者階級、失業者に属していた。
たとえばチュニジアを考えてみよ。独裁政権を打倒したのは、この国の「中産階級」ではなく、アラブ地域最大の独立した労働総同盟が主導した大規模な民衆運動であった。
エジプトはもう1つの例である。チュニジアとは異なり、エジプトでは公式の労働組合は完全に政府によってコントロールされていた。しかし、こうした公的な組織の外に、非常に闘争的な労働者階級が存在している。
2011年2月には労働者が大きな役割を果たした。政府が「通常通りの業務」を再開するよう人々に呼びかけると、何十万人もの労働者がストライキに出て、大統領追放に決定的な役割を果たした。
他の国でも同じパターンが見られる。バーレーンの労働組合総連盟は、2011年の反乱の第1段階で重要な役割を果たした。イエメンでも、若者とともに労働者階級が初期の反乱の中心にいた。
2019年の第2波には同じ社会階級がかかわっていた。スーダンでは、学校の教師やジャーナリストなどの低所得層を含むスーダン専門職者協会(SPA)が極めて重要な役割を果たし、新たに結成された労働者組合を包摂することになった。
彼らには「抵抗委員会」という草の根運動が加わった。これは近隣地域に拠点を置き、学生、低所得労働者、失業者を中心に何万人もの若者を動員している。

第2波は第1波の教訓基礎に


――第1波と第2波の間に重要な違いはありますか?

 第1波では、1つの革命運動が2つの反革命勢力に直面した。その1つは、もちろん既存の政権であり、反乱を弾圧しようとした。
もう1つは反対勢力の中にいた。それは、アルカイダやISIS(ダーイシュとしても知られている)といった極右過激派はもちろんのこと、ムスリム同胞団の主流派の中にいるイスラム原理主義者だった。どこでもイスラム原理主義者が闘争を開始したところはなかった。イスラム原理主義者は時流に乗ったのである。
エジプトでは、同胞団の目的は抗議運動を乗っ取り、民主主義の機会を利用し、国家の支配権を掌握することだった。新自由主義と宗教的権威主義や性差別とを組み合わせた彼らの綱領は、エジプトが抱える現実的な問題に対する解決策を提供していない。それは問題を悪化させるだけである。
同胞団はもっとも強力な反対勢力であったことにより、反乱後の最初の段階において、エジプトとチュニジアで多くの支持を集めていたが、両国での同胞団による統治の結果、その支持をあっという間に失ってしまった。過激派に関しては、イラクとシリアの一部でのISISの支配は残忍できわめて抑圧的かつ反動的だったので、宗派的な理由から得られたかもしれない民衆の支持をすぐに傷つけてしまい、嫌悪を催させるものとして広く見られるようになった。
第2波における民衆運動は第1波の教訓を学んだ。イスラム原理主義者は、今回は彼らに加わることさえできなかった。
スーダンでは、運動は軍と原理主義者の同盟にもとづく国家と対立した。アルジェリアでは、主流派のイスラム原理主義者が軍支配下の政権に協力していた。イラクやレバノンでは、宗派的原理主義勢力がイランによる対外支配を伝導する政権の大黒柱となっていた。
このように、第2波における運動は、反革命勢力としてのイスラム原理主義者に断固として反対していた。そして彼らは、とりわけエジプトでのアル・シシによる専制的統治の経験を経て、軍部に対する幻想を育んではいない。

変動見せる帝国主義列強の介入


――アメリカやロシアのような帝国主義列強は反革命においてどのような役割を果たしたのか?

 第1波が開始されたのは、第1次湾岸戦争以降でこの地域におけるアメリカの覇権がもっとも弱いときだったことを念頭に置かなければならない。アメリカの覇権は1991年にピークを迎えたが、それはワシントンの主要な敵であるソ連が崩壊したときだった。ジョージ・H・W・ブッシュ[父親の方]はそれを利用して、イラク戦争を通じてこの地域の支配権を行使した。
アメリカ政府はこの地域のすべての国を味方につけるか、中立化するかした。かつてモスクワの同盟国だったアサドのシリアもイラク戦争に参加させた。戦後、アメリカはイランとイラクを制裁で封鎖し、イスラエルとのオスロ・ワシントン協定を通じてパレスチナ解放機構を引き入れた。
息子のブッシュは、この覇権的な立場をイラク占領で無駄にしたが、それはイラク人にとっても、アメリカにとっても大惨事となった。
オバマが2011年に米軍をイラクから撤退させている間に、この地域におけるアメリカの覇権は頂点に達していた。それはもちろん、反乱の第1波が起きたまさにその年であり、この地域の確立された秩序全体を脅かすものだった。
ワシントンには地上で事件を作るテコがほとんどなかった。その弱点はリビアでもっともよく示された。アメリカは空軍力を提供したが、地上軍を派兵するという展望は排除されていた。NATOの介入は、ムアンマル・アル・カダフィが死んだあとで、リビアが西側の支配から完全に逃れるというもう1つの大失敗に終わった。
このため、オバマ政権はシリアへの介入にさらに消極的になった。介入したのは、ISISがシリアからイラクに侵入した後になってからだった。オバマ政権は、きわめて限定された地上軍を展開させただけで、ISISとの戦闘においてはシリアの左翼クルド人勢力を含むシリア国内の部隊に依存していた。オバマがシリアでの行動に当初消極的だったために、イラン、次いでロシアがアサド政権のために大規模な介入をおこなう隙を与えてしまった。
いまやロシアはリビアへの介入を拡大している。(エジプトの)アル・シシやアラブ首長国連邦と協力して、旧体制の残党に支えられた独裁者を目指す人物[訳注:リビア国民軍を率いるハフタル司令官]に支援を提供しているのだ。
左翼の一部は、アメリカの世界的な覇権が相対的に衰退し、ライバルの帝国主義が台頭していることを把握できなかった。彼らは時間に取り残されて、状況が冷戦時代といまだに同じであると誤って信じ込んでいる。
もちろん、アメリカは今でも世界で支配的な帝国主義強国である。しかし、現在のロシアは、明らかにライバルとなる帝国主義強国であり、いくつかの点でアメリカよりもさらに反動的である。そして、サウジアラビアやイランのような、ライバルである地域的覇権国家があるが、この両国ともきわめて反動的である。

各国がいつでも火が着く火薬庫

――第2波はどのような状態にあり、今後数年間で他の反乱がどこで起こると予想しているのか?

 先ほど言ったように、第2波の運動はパンデミックによって中断されている。各政権はそれを利用して抗議活動を禁止し、人々自身も自分たちの安全への恐れから行動に参加することを躊躇している。
しかし同時に、パンデミックや不況は地域全体の状況を悪化させ、人々の怒りや不満を増大させている。また、アメリカで「ブラック・ライブズ・マター」とともに起こったように、人々が警戒心を解いて街頭に繰り出すほど人々を怒らせる出来事もある。
この長期的な革命プロセスには、まだ非常に長い道のりがある。良い知らせは、人々が自分たちの直面していることを学び、敗北と勝利の両方から教訓を得ていることだ。
たとえば、昨年8月のレバノンの港での爆発事故は、小規模ではあるがレバノンで新たな抗議行動を引き起こした。今のところ、パンデミックは一般的には反乱を効果的に抑制しているが、より大きな反乱はパンデミックが収束したときにやってくるだろう。
この地域のどの国が次なのかを見極めるのは難しい。1つ1つの国が火薬箱であり、どんな火種でも火をつけることができるからだ。
エジプトでは、公式統計でも貧困率はアル・シシ政権下のここ数年で劇的に上昇している。アルジェリアでは、運動は単に待機状態にあるだけで、何らかの形で再開されるだろう。いまの大統領はとんでもなく低い投票率で選出されていて、正当性がないと広く認識されている。
モロッコはもう1つの火薬庫だ。ヨルダンでは、2018年に政府を倒した民衆の反乱があった。イラクでは闘争が続いている。スーダンの革命プロセスはまだ終わっていない。民衆運動と軍部との間で緊張した共存をしている過渡期にある。
サウジ王国でさえ、こうした力学の影響を受けていないわけではない。反乱が起こる可能性がもっとも低い2カ国―カタール首長国とアラブ首長国連邦―はもっとも人工的に作られた国で、国民の10%しか市民権を享受していない。残りの人々は、欧米諸国の移民労働者よりもはるかに少ない権利しか持っていない。

過去に学び新たな組織化に挑戦

――運動は何のために闘っているのか? また、勝利するにはどのような組織が必要か?

 人民は自らの生活・民主主義・社会正義のために闘っている。この目標を達成するためには、この地域の国家と経済システムの社会的・政治的性質を根本的に変えることが不可欠である。
民衆運動は、腐敗した専制的な政権を倒し、真に民主的な政権に置き換える必要がある。そのときに初めて、平等な社会・経済政策を実行することができる。
このためには、高度な組織化と政治的決意が必要だ。この地域の支配者とその国家は非常に残忍で、権力を維持するためには喜んで極端な手段に訴えるからである。
シリアを見よ。支配者一族は、支配を維持するために、国の大部分を破壊し、何十万人もの人々を虐殺し、何百万人もの人々を国外脱出に追いやったではないか。
そのような政権を倒すためには、効果的な組織を必要とする。新たな世代の革命家たちは、トップダウンの中央集権主義やカリスマ的指導部といった古い形態には慎重な態度をとっている。
その結果として、2011年以降の闘争のほとんどは、水平的な草の根構造の重要な役割とカリスマ的指導者の不在によって特徴づけられてきた。
しかし、効果を発揮するためには組織が必要であることに誰もが気づいている。スーダンでは、「抵抗委員会」は中央組織の設置を拒否しながらも、部分的にはソーシャルメディアを通じて、高度な政治的・組織的調整を実践している。
首都にあるいくつかの近隣地域委員会が前衛的な役割を果たしている。これらの委員会は、SPA(労働組合連合に相当する組織)と連携して活動している。こうした勢力は一緒になって闘争を主導しているが、伝統的な党のような組織ではない。
少なくともこのようなレベルの組織がなければ、運動は前進できないし、ましてや成功することはできない。革命はソーシャルメディアだけでは勝てない。反乱が「フェイスブック革命」であるという主張は常に誇張したものだった。
スーダンは前進の道を示している。今までに大規模な反乱があった10カ国の中で、スーダン人民の運動は最も組織化されている。そしてその地域の人々はスーダン人民から学んでいる。
[繰り返しになるが]この長期的な革命プロセスには、まだ非常に長い道のりがある。良い知らせは、人々が直面していることを学び、敗北と勝利の両方から教訓を得ていることである。
したがって、そこには希望がある。そのような希望がなければ、「知性の悲観論」しかなければ、イタリアの革命家アントニオ・グラムシの有名な言葉にあるように、「意志の楽観論」はありえないのである。
(『インターナショナル・ビューポイント』2021年1月20日)

 ※ジルベール・アシュカルは、レバノン生まれの中東問題専門家で、現在はロンドンにある東洋・アフリカ研究学校の開発研究・国際関係担当教授である。彼のアラブ・中東に関する著書には、『アラブ革命の展望を考える―「アラブの春」の後の中東はどこへ?』『中東の永続的動乱―イスラム原理主義・パレスチナ民族自決・湾岸・イラク戦争』(いずれも柘植書房新社刊)が日本語訳されている。アシュリー・スミスは、アメリカ・バーモント州在住の民主主義的社会主義者(DS)メンバーで、『スペクター』の編集委員。さまざまなメディアに多くの文章を書いている。

 


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